3軒となりのご近所宅で夕食を食べたある夜。
アオ(長男3歳)がまだ居たいと言い張るので、アサ(次男1歳)と二人でおいとました帰り道。9時半。
ぷくぷくした小さな手が、私の指をにぎる。よちよちと、でも誇らし気な足取り。母親らしき私と、その腰ほども背がない小さな男の子の手をつなぐ影が、アスファルトに映っていた。
昨日は、保育園の保護者会だった。後半は輪になって懇談の時間があった。
私は、3歳1歳のワンオペ育児という苦悩の日々への、何かしらの解決策を必死に探していた。もっと上にお兄ちゃんお姉ちゃんがいる家庭が多く、どのお母さんたちも、私よりずいぶん余裕があるように見えた。全然叱ってないよー、適当にやっちゃってるからねー。
いいな。怒らないお母さん、笑ってるお母さん、いいな。
最後に園長が話す。
「私が幼子2人を育てていたときどうしてたか考えたんですがね、……それが何も思い出せないんです。もう、必死だったんでしょうね。でもね、今大変でも、そんな日々はあっという間に過ぎていきますから」。
ママたちが笑顔で目を細めながら、うんうんと大きくうなずいていた。
その夜、あるママがメッセージをくれた。「私もその頃のこと、何も覚えていないんだよね~」と。そして先輩として「私もダメダメだよ。いいんだよ楽しくやれば。大丈夫大丈夫。」という温かい励ましのメッセージだった。ありがたかった。
・・・でも。
小さな次男と手をつなぐ影を見ながら思った。
「思い出せないなんて、やっぱ嫌だ」。
記録と、記憶は違う。
じじばばに写真を見せるために、スマホアプリにこまめに写真をアップしているから、そのときどきの出来事はあとで見直せる。でも、そこに保存されている写真と、胸の中にずっと残っている何か、っていうのはまた別のものなんだと思う。
アオの幼いときの、何を覚えているか。
覚えているシーンは、私がそれをちゃんと自分の感性で受け止めた瞬間なのだろうと思う。味わった、とも言える。
アオがおっぱいを飲んでいた姿を覚えている。
たった5か月間しかなかったというのに、やけにクリアに。
頬をばら色にして、小さな手のひらを乳房に乗せて、目をつぶり、すべてを私にゆだね安心しきって、んぐんぐと音を立てて乳を飲んでいた君。風にカーテンがゆれて、私は幸せを感じて満たされていた。その顔を私はぞんぶんに眺め、味わったのだと思う。時間はたっぷりあるから、物思いにもふける。世界中の子供たちがこんなふうに母のおっぱいをもらえますようにと祈り、そのばら色の頬に私の涙が落ちたことも一度や二度ではなかった。
線路わきの広い駐車場。車止めを椅子代わりにして、小さなアオと電車が来るのを待っていたシーンもよく覚えている。遠くの踏切の音を、アオは私より先に聞き分けた。電車の運転手さんに手を振る。振り返してもらって二人で喜ぶ。保育園に入りたての春に一時期だけ熱中していた日課だったが、その中で一番胸に残っているのは、電車をじっと待つアオの眼差しだった。
私はちゃんとその場に一緒にいて、彼の世界を感じ、受け止め、愛おしく思った。保育園に預けることへの迷いや、自分のこれからについての期待と不安もあった。それから、彼の未来がどうなるのか、無限の可能性を感じ、とても楽しみに思った。できることは何でもしたいと思った。あの線路わきの時間は、私が「私たちは母と子なんだ」と実感した、初めてに近い時間だったのかもしれない。
次男が生まれ、2人育児の嵐のような日々が始まってから一年がすぎたが。記憶に残るシーンが……確かに、出てこない。
アサが初めて歩いた感動を、初めてママと言った感慨を、思い出せない。
でも、でも。
やっぱり嫌だ。ごめんだ。あとから振り返って何にも出てこないなんて。
大事な大事な、二度と帰らない宝物の時間なのに。
何枚写真を撮ろうと、ビデオに残そうと。
私の心の中が「無」だったら、それは「無」の記憶だ。
「苦」だったら、「苦」の記憶だ。
別に幸せに満ちた記憶でなくたっていい。
苦だろうと、めちゃくちゃだろうといい。
その中に、絶対、たまらない愛おしさや、美しさがあって。
もっとよく見たら、命がある歓喜や、出会えた感動があって。
少しだけセンチメンタルになって自分の心を俯瞰する余裕さえあったら、日々やりすごしている何でもない場面、ともするとひどい場面すら、きらきらと光をまとって記憶に刻まれるのに。
胸に、目に、焼き付けろ。
五感を使って、私が、感じるのだ。味わうのだ。
なけなしの感受性を絞り出して、わが子の背中に、頬に、まつ毛に、手の感触に、声に。
私なりの、精一杯の詩を乗せるのだ。
誰に聞かせるでもない、私だけの、青春の唄だ。
忘れたくない。
おもちゃや野菜や粘土やお茶やあらゆるものをぶちまけ、その中でぐちゃぐちゃになって笑っていた二人を。
腹がすいて泣く0歳と、抱いてほしくて泣く2歳と、追い詰められ疲れ果てて泣く40歳、3人で泣いた居間の景色を。
3人で歌った小さな風呂場を。
忘れたくない。
ぜんぶのマイブーム、ぜんぶのいたずら、ぜんぶの口癖、ぜんぶの大泣き、ぜんぶの歌声と笑い声を。
感じろ、感じろ!唄え、唄え!抗え、抗え!
思い出せないのがたとえ世の常識だとしても。私は。
二度と戻らない今日というわが子との時間を、自分の脳に、血肉に、刻み込むのだ。