hahaha!な母たちが今教えを乞いたい、素敵な方々に登場いただくインタビュー。第一回は、本サイトの「学ぶ」>「季節のならわし」コーナーで、日本の風習について教えてくださる、広田千悦子さん。ご自身の子育て経験や、地域コミュニティと関わり続けて感じることも含め、語っていただきました。
(聞き手:hahaha!編集長 本間美和)
目に見えないものを見直す時代の巡り
―まず、季節の風習や行事について、「知らないなー」という恥ずかしさがあります。節分や恵方巻きのように世間のムードに乗ってカタチだけやっていたり、おせち料理や菖蒲湯のように、知っていても自分ではできないものも多くて。一方では子供を持ち、節句やお祝い行事を親に教わりながら行ううちに、関心が出てきてもいるんです。
そうですね。核家族化、都会生活といった暮らしの変化や、経済成長、欧米化の影に隠れてしまった部分もあるでしょうね。
日本の習わしは、人生にまつわるもの、季節にまつわるものなどがありますが、その多くがもともとは農業に関するもの。農作業の区切りや収穫の祭りなどがベースになっています。ですから、皆が農家ではなくなった現代では形だけになっていくのも無理もない話かなと。
でもだからこそ、昔のような意味づけに説得力がなくなったにも関わらず、いま心惹かれるのはなぜか。そこを考えていくのは大事だと思います。
実はワークショップや講演をしていても、関心の高まりを感じているんです。これは和食ブームやオリンピックだけが理由ではなく、精神的にそういう巡りがちょうど回ってきているのではないかと感じます。大震災や気候の変動もきっと関係していて、もっと、生きるうえでの本筋に関心が向き始めている。なにか、目に見えるカタチを求めて走り続ける時代に、限界を感じている人が増えているのではないでしょうか。
いま、見えないものを見る力を養い、五感を磨くいいチャンスが巡ってきていると私は思っています。
もし日本の習わしを知識・教養と捉えれば「知らなくて恥ずかしい」となりますが、いま新しく自身に芽生えた知的好奇心で、素直に面白がる感覚でいいのではないでしょうか。第一、テスト勉強のようにここまでやれば完璧というタイプのものではなく、何歳になっても学び・愉しみ続けたい奥行の深いものです。せっかくある日本の四季の移り変わりの美しさを、成長していく子供たちと一緒に「味わってみよう」という気持ちで過ごしてみませんか。
(hahaha!メンバーで広田さんのアトリエへ。季節は夏、お盆のお供え物づくりを教えていただいた。こんな感じで、ご近所や親族や集まって行事の準備をすることは都会生活ではなかなかないが、とても豊かな時間だと感じた。)
手仕事が五感を磨き、心のひだをつくる
―しかしながら…お盆の精霊馬(キュウリやナスに足をつけたお供え物)しかり、昔からの習わしって、やっぱり合理的ではないようにも感じてしまいます。行うメリットが分からないと、忙しい時間をわざわざ割く優先順位が下がってしまうというか…。
たとえば、爽やかなイメージの5月(皐月・さつき)の別名には、雨月や悪月という名前があるんです。これは新暦と旧暦が1ヵ月ほどずれているためで、ちょうど旧暦5月は梅雨にあたり、いろいろなものがカビたり、体の弱い所が痛んだり気分が落ちたり、不調が出がちな季節だからです。
そんな旧暦5月には邪気払いの行事がたくさんあります。その1つが「夏越しの祓(なごしのはらえ)」で、身を清めたり身代わりの紙人形をつくったりします。
昔から代々伝えられてきた風習には、日本の季節・風土や日本人の体質に寄り添っているもの、節目ごとに体や心を整えてくれるような役割のものもたくさんあるんですよ。
でも確かに、「ご先祖の霊をキュウリの馬でお迎えする」なんていうのは、合理的じゃないですよね。私もそのメリットを問われたら、説明できない。ただ、亡くなった懐かしい人にできるだけ早く帰ってきてほしい、少しでも長くそばにいてほしいと願う、そのいわれには気持ちが動くものがありませんか。「目に見えないもの」「よくわからないもの」に目を向けることで、ぽっと心の中に生まれるものがある。メリットがあるかないか、というものの見方とは異なる次元のものです。
子供にとって、ぼんやりとした幼い記憶の中で、父と母が何か作ったり、飾ったりしていたということ。物質的じゃない、なんだか不思議なことをしていたということ。これは心にずっと残ります。
また、五感を刺激するあらゆることを体験できます。お香の香りや、和紙の質感、季節の草花の色、神様に手を合わせるときの空気感。
そして、草花や水を触ったり、火を焚いたり、藁を編んだり、だんごをこねたり、指先や身体に残る感覚も。季節の習わしって、なにかと指先を動かす細かい作業が多いですからね。
そういった一つひとつのことが、子供の感性に働きかけ、心のひだに深みをもたらしてくれるんじゃないかと思うんです。
そうしていつの日か、目をとじれば、愛する人と季節のおもむきが一緒になって思い出される。そんな、懐かしく温かい気持ちになる機会をつくってくれるのではないでしょうか。
(手でさわってこねて味を見て……。頭で覚えていなくても、子供たちの感性の中には何かが1つ刻まれるのかもしれない。)
―ああ、今、幼い頃に母と一緒に野原で花を摘んだり、ヨモギを採っておだんごを作った思い出、そのとき嬉しかった気持ちが、ふわっと蘇りました。……うーん、とかく現代の母たちは、頭で考えがちだし、目に見える結果を求めがちなのかもしれませんね。
知育教材や先取り教育の類は、ネットで探せばいくらでも見つかりますよね。「今のうちからやっておけば」という文句に駆り立てられてしまう。1歳からの英語とか、2歳からの計算とか、聞いたら動揺して焦っちゃいますよね。商業主義が母と子の世界をも覆っています。人間にとって学問は必要なものですが、惑わされないようにしなくてはいけませんね。
さまざまな年代の方と関わりながら、最近思うんですが、いま、考えたり感じたりしたことを言葉にする機会や、何かを皆で話し合う機会が、以前よりさらに減っていませんか。そして、思考や感情が平面的に、しかも一律にパターン化してきていると感じるんです。どこか「薄い」というか、心もとないというか…。
―ちょっとわかります。自分の心が「感じる」ことができなければ、語彙も増えない。気持ちを表現する言葉がぜんぶ「うざい」と「やばい」だけになってしまうような……。
心で、肌で、体感しないことは、自分の中に刻まれないんです。「心を豊かにする」って、感情のキメを細かくすることでもあり、先ほど言ったように身体の感覚も大いに関係しています。
もしそれがどんどん鈍くなってしまったら、人は「ああ、いま幸せだなあ」と感じる気持ち自体を、気づかぬうちに失ってしまうのではないでしょうか。
知識は頭を豊かにするけれど、心を豊かにするためには感覚の体験が必要です。私たちは頭だけで生きている生き物ではありませんから。
もっと言えば、今の社会で起きているさまざまな問題は、目に見えるものに一生懸命になるあまりにバランスが崩れたことから生まれているのではないでしょうか。
例えば今、子供たちは目標に向かって努力する力は強くなっていますが、一方で、全体を見る力や、ものごとの成り立ちやつながりを理解する力は弱くなっているといいます。立体的な考え方が苦手なんですね。また違う者同士力を合わせて何かを作り上げようということへの興味も極端に低く、人と違うということに必要以上の恐れをもっています。
つまり、合理的なことは得意だけど、目に見えないものや感受性を必要とすることは苦手になっているんですね。
さまざまなアプローチがありますが、私は季節の習わしが一つの手助けになるかもしれないと考えています。季節にまつわる手仕事や、自然の小さな変化を味わうなど、細かなものに触れれば、心が磨かれていく。
季節の行事や習わしなんて、まったく意味がないとか遠回りのように思えるけど、実はとても本質的な学びが、ここにあるんじゃないかと考えているんです。
いつか子供の、人生の山々の助けになる
―ちょっと鳥肌が立つ思いです。メリットが分からないと言いましたが、教養とかお楽しみの範疇を越えて、とても大事なことを心と身体に教えてくれるんですね、季節の習わしは。
そう思います。
日本は特に四季の移り変わりがありますから、日本人は自然の姿に心を投影させて味わう性質があります。春の風の香りに心踊ったり、秋の夕空の色に物悲しくなったり。
その季節の変化の節目節目に、行事や祭りを行うことって、実は、生きる力の根源と触れ合っているんです。
巡る、変わる、うつろう、朽ちる、芽吹く……。これが季節であり、いのちです。宇宙のはたらきといってもいいと思います。強さとはかなさ、両方そなえています。
永遠に同じものなどなく、常に移り変わっていくのだというような、哲学的思考と、世界を俯瞰した目を、論理ではなく実感として肌で学ぶことができます。
学んだうえで、ある意味厳しさもあるその真理を、否定したり抗うのではなく、自然なこととして受け入れ、むしろ親しみ、ともに歩む力にしていくことができる。
自然から、暮らしから、「いのちのいとなみ」の感覚をつかみとって、そうして得た心と身体の豊かさが、家族と重ねた思い出が、いつかその子が越えなければいけない人生の山々で、助けになるのだと思います。
たとえば本当に孤独になったとき、吹いてくる風を優しく感じられるかもしれません。災いにあったとき、絶望せずに立ち上がれるかもしれません。
(この子たちが将来、山にぶつかったとき、孤独を感じたとき、そっと寄り添ってくれるものがあるように……)
―関係ないと感じていたことが一本につながって、子供に今、一番与えてあげたいもののように思えてきました。私たちは今日から、何を意識して変えてゆけばいいでしょう。
「スキマ時間づくり」でしょうか。みなさん、それこそ「意味がある」と実感できることで一日を埋め尽くすことに懸命ですが、忙しいとき、疲れたときこそ、焦らないで、空や木々や花を見つめてみる。風を感じてみる。
いまの自分、今日までの日々、すべてが関係しているこの世界を、たまには星を眺めるときのような目で眺めてみる。
季節の習わしは何がいいかというと、一旦立ち止まるスキマ時間になるんです。ほんの一瞬でもいい。立ち止まる習慣さえできれば、それぞれの今の暮らしに大切なことが何か、気づく機会にもなると思います。
あとは、「いのちのめぐり」を感じられるような暮らしができるといいですよね。
普段の暮らしの中で、ご年配から赤ちゃんまで、多様な人と過ごす機会は少なくなりました。昔は当たり前に環境から受け取れていた、人や物事に対する寛容さの幅は狭くなっています。
今、そのバランスを補ってくれるものの一つが「自然」です。朝と夜、四季、自然のリズムを感じる時間は、多様な世界やいのちのめぐりに出会うチャンスでもあります。
リズムよく繰りかえす営みは、子供たちに安心をもたらします。安心感って、子供の成長に絶対に必要なもの。親にも必要なものです。今年もまた、今日もまた、やってくる、おなじみの、巡り。
その中で、手を合わせて今日に感謝したり、明日も元気で暮らせますようにと祈ったり。目に見えないものに目を向け、自然と共にある感覚がふっと生まれる時間を、家族で大切にしていけたらいいですね。
現代のように社会が慌ただしく、たくさんの情報に溢れていると、子供と一緒に季節や自然を味わう日々は、大人にとってもすごくいい時間なんです。
だってどんなに忙しくても、子供のスピードで歩きますし、目線もしゃがんだりしていつもと違うものをみることになる。近所の人と会話したり、子供のつながりで今まで出会わなかった人たちとも出会えます。
働いてきたお母さん方はこの時期、おいていかれるような気がして焦ることもあるでしょうけど、本当は最も大事な時間を過ごしているんです。
逆に大人の方が、今まで見向きもしなかった草花の可愛さや夕焼けの色なんかに、ふっと癒されたりします。「子供に教えなきゃ!」と意気込むよりも、自分がまず楽しむことで、その後ろ姿や横顔が、子供たちの心に刻まれるのではないかと思います。
―いただいたお話、心に刻みながら歩みたいと思います。本当にありがとうございました!
(写真: 広田 行正)
profile 広田 千悦子(ひろたちえこ)
日本の行事、季節の愉しみ、和服、縁起物……。研究家であると同時に、温かな絵と文で綴る作家。講演、ワークショップも多数。著書はロングセラーの『おうちで楽しむにほんの行事』ほか25冊を超える。最新刊は『鳩居堂の歳時記』。東京新聞のコラム「くらし歳時記」は連載10年目。公式ホームページはこちら。
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