ことばの始まりは、
言語を話すずっと前。
子どもを前にして話をすると、中に二、三人、目立ってよく聞いてくれる子がかならずいる。生き生きしたその目は、いかにも、開かれた窓という感じで、そこから話が吸い込まれていくのがよくわかる。・・・同じように話を聞いていても、全然たのしまない子もいる。そういう子の目は、よろい戸のおりた窓のようだ。・・・お話ひとつにしても、目を輝かせて楽しむ子とそうでない子がいるのを見ると、生まれて数年の間に、何がこの子たちをこう違わせたのだろうかと考えさせられる。 『サンタクロースの部屋』 P24~より
――この一節が衝撃的でした。まさに私たち母親の理想のイメージの一つは、わが子がいろんなことを面白がったり感動したりできる「窓の開いた子」になることだなって。それで日々自分なりに、絵本やアートや音楽、さまざまなよい刺激を与えようと試行錯誤しているんですけど……。ずばり、どういった点で窓が開くか閉じるかの違いが出てくるのでしょうか。
私にも明確な「答え」はわかりませんけどね、長年子どもたちを見てきて、変わらないことと変わったことがある中で、大事なポイントがいくつかあると思っています。一つは、ごくごく幼いとき、赤ちゃんのときの親とのコミュニケーションです。
心理学者の岡本夏木さんが『ことばと発達』(岩波新書)という著書の中で、「第一次言語・第二次言語」というお話をされています。生まれてから社会に出る前、家庭の中で状況を共有しながら親子で交わされる言葉というのは第一次言語。「ほしい。」「お菓子?」「うん。」で通じる。でも外に行ってそれでは通じないわよね。「私は、お菓子がほしい。」でやっと通じる。子どもが学校などに行って言語を発するとき、それは第一次から第二次への飛躍で、実は子どもにとってはものすごく高いハードルなんだそうです。
だけども、一番最初に、第一次言語、つまりお家の中で、状況を共有ながら交わし合う言葉が「相手に通じるんだ」という体験をしっかり積んでおかないと、うまく次の段階に行けないんだそうです。
ここでいう言葉というのは必ずしも言語ではなく、泣き声や、身振り、身体の動作だったりするわけですけど、目をこすってむずがったら「眠いのね」とかから始まって、自分が動きなり声なりで表現したことがお母さんにちゃんと分かってもらえたという体験を重ねることが、言葉の発達にとって大事なんですね。
――つまり、自分の気持ちを表現することが、楽しいとか嬉しいとかポジティブなものになるといい、ということですね?
そう。相手に「通じた」という体験が、言葉に対する「信頼」をつくるんですね。また岡本先生は「まなざしを交わすこと」を、言葉の一番の始まりとされている。「目があうこと」がとっても大事なんですって。
ママとおしゃべりしたい
赤ちゃんに備わった能力
子どもとお母さんが最初に一番まなざしを交わすのは、授乳の時だと思うんですが、霊長類学者の正高信夫さんの著書『0歳児がことばを獲得するとき』(中公新書) の中に、面白いことが書いてありました。
哺乳類は、一旦授乳を始めたら最後まで休まない。いつ敵が来るか分からないから飲めるときに飲んでおこうということで。ところが人間の子どもだけが途中でちょっと休む。研究の結果、それは母からの注意を引くためだったと分かったんです。
飲むのをやめると「どうしたの?」「おなかいっぱいかな?」とか何か言うでしょう? それを引っ張り出そうとしているのね。それだけ人間の子どもは、相手からの注意を引いて、自分とコミュニケーションを取ろうとする、生来の力を持っているんですって。面白いわよね。
また、イギリスの言語学者M・A・K・ハリデイ氏が昔、こういう実験をされたんです。生まれたばかりの新生児を抱いているお母さんを連写で写真に撮って、つなげて、動画のようにコマ落としにして見ていく。フィルムが普通の速度だとお母さんが何か話しかけ子どもが答えているように見えるのだけど、ものすごくゆっくり見ると、お母さんが話しかけるギリギリ直前に、子どもの顔や体に変化があって、お母さんはそれに反応していたのだと分かったんです。
ですから、人間の赤ちゃんの「注意をひく」という優れた能力に「自然に」こたえるのが、お母さんがすべき一番大事なことなんですね。
――うわー、授乳中ですか!チャンスとばかりに別のことやってました!赤ちゃんからの「ママ見てー」にこたえてあげてなかったってことですよね?
私は、「ことばを教える」ためには、たくさん話しかけて、赤ちゃん向けの絵本をたくさん読んであげなきゃ、そして早く言葉が出れば優秀、とどこかで思って焦っていました。芽を出す前にもっと大事な、畑を耕すところがあったってことですよね……。
聞いてもらった子は
人の話を聞けるようになる
かなり昔ですけどね、今話したコマ落としの実験をやったハリデイさんが来日されて、講演会があったので聞きに行ったんです。その当時、保育者たちの間では言葉を育てるために、なるべくたくさん話しかける「言葉かけ」が大事とされていた時代です。
私は「子どもの言葉を育てるために、大人がすべき一番大事なことはなんでしょうか?」と質問しました。するとハリデイさんは、「子どもの言うことを聞くことです!」と言下におっしゃったの。言いたがっていることを受け止めるのが大事ということ。
自分の言い分をよく聞いてもらってきた子は、他の人の言うことも聞くようになります。その体験がない子は人の話を聞けない。そのあと学校に入ると16年間くらいも人の話を聞いて育つわけじゃないですか。その間、先生が話す内容以前に、話をちゃんと聞くか聞かないかで、得られる教育の質も変わってくるでしょう。幼児期の子を持つお母さんは、とことん聞いてあげることで学校生活のいい土台が作れるんですね。
――言うことを聞いてあげる…これは、わがままを全部叶えるのとは違いますよね? いま、うちの子はあれが嫌だ、これが欲しいの主張の嵐。要望を何でも聞いてたら甘やかしになっちゃうし、全部ダメだと厳しすぎだし……。
あれしたいこれしたいをぜんぶ受け止めるのは難しいですよね。そう、要望を叶えるのではなく、話を聞くということです。同じダメでも、一旦言い分をちゃんと聞いてもらったという満足感があれば、親の否定も受け入れやすいんじゃないかしら。
お母さんが片手間に適当に聞いていることが不満かもしれないから、例えば「お母さんはこれをやらなくちゃいけないからずっとは付き合えないけど、あなたの話は5分間だけ聞きます!」と言って、5分は手を止めて、よそ見せずしっかり向き合う、というのも手ですよね。
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松岡さんが大人向けに書かれた書籍たち。中でも『サンタクロースの部屋』(こぐま社)、『ことばの贈りもの』(東京子ども図書館)はまさに子育て中の母たちにおすすめ。
こちらは松岡さんが手がけた数々の翻訳本の一部。皆が知る名作から、さまざまな国の民話まで。『おさるとぼうしうり』、『ものぐさトミー』、『世界でいちばんやかましい音』など、母も読んでいて楽しい本が多い。
松岡さんがお話を書かれた絵本の一部。『うれしいさん かなしいさん』(東京子ども図書館)は、絵もご自身で描かれた。
絵本だけでなく、耳で聞くお話も始めたいとき、とっかかりに何がよいかと伺ったところ、松岡さんが教えてくださったのは『おはなしのろうそく 愛蔵版』(東京子ども図書館)。頭の中に絵がふわっと立ち上がってくる感覚が楽しい。
昔話なら、こぐま社の昔話シリーズがよいとのこと。『子どもに語る 日本の昔話』3冊と、『子どもに語る グリムの昔話』6冊。
また、読み聞かせに適した絵本選びは、年齢別に304冊が紹介された『よみきかせのきほん』(東京子ども図書館)が大変参考になる。
(※『ことばの贈りもの』、『うれしいさん かなしいさん』、『おはなしのろうそく 愛蔵版』、『よみきかせのきほん』は、東京子ども図書館(注文・館内販売)や、教文館(webサイト)で購入可能です。)
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