ご好評いただいた、インタビュー第一回。 広田千悦子さんには、記事に収まりきらないほど興味深いお話をたくさん伺いました。特に、盛り上がりすぎてしまったのが民族と信仰の話。 本編では大幅にカットしたのですが、あまりにもったいない!ということで<こぼれ話>としてここに採録します。ご興味のある方はぜひどうぞ!
お話し手: 日本の行事・歳時記研究家/作家 広田千悦子さん (以下 広田)
聞き手: hahaha!編集長 本間美和 (以下 本間)
日本ならではの神と祈り
本間― 日本の習わしって、農作業の区切りや、収穫の祭りなどがベースになっているんですね。考えてみたこともなかったです。
広田― そう、日本の習わしや行事は、自然と共にあった暮らしの中で生まれてきたものが多いです。つまり「自然への信仰の形」なんですね。
新しい季節の訪れを祝い、雨に祈り、作物の実りに感謝する。分かっているだけでも千年単位でさかのぼることができます。数多くの神々がいるという「八百万の神(やおよろずのかみ)」の概念ができる、もっともっと前からある、自然への祈りが元になっています。
本間― 信仰の形ですか…。私は世界中を旅して、信仰を語れない国民、「自分は無宗教です」と言う国民は日本人くらいだと改めて認識しました。ほぼほぼすべての、何かしらの信仰を持つ世界中の人たちに、日本人は人生哲学がないとか、祈る対象がない傲慢な思想だとか、拝金主義・物質主義とか思われたくなくて、弁明に苦心しました。
広田― なるほどね。でも、ちょっと考えてみて。たしかに日本人は、特定の宗教は持っていないという人が多いかもしれないけれど、それを無信仰だと思うのは、あくまで一神教を軸にした一元的な見方ではないかしら。
もし本当に日本人が、信仰心が薄く、傲慢で、全くの無宗教なら、さまざまな場面で手を合わせる習慣や自然に対して感謝する季節の習わしは、きっと生まれても残ってもいませんよね。実際のところは、現在でも多くの人が、例えば初詣に神社へでかけ、お葬式にはお坊さんにお経を読んでもらったりします。
本間― なるほどそうですね。信仰心のベースの部分は、皆持っているのかも。でも逆に、いろんな神様を拝みすぎる「節操のなさ」も持ち合わせていたり…?笑
広田― あはは。言いたいことは分かりますよ。たとえば、
・初詣、お宮参り、七五三 →神道
・お葬式、お盆、ご先祖の供養 →仏教
・クリスマス、バージンロード、ハロウイン →キリスト教
・お中元 →道教など
でしょう。さらに、これとは別に、地域ごと、村ごとなどの祭りや習俗があり、田の神や山の神などの思想があり長い年月を重ねて、今日に至ります。
どんな神様も受け入れる日本人?
本間― そうなんです。日本人のそういう部分も、外国の人は理解に苦しむようで…
広田― ひとつの神様を絶対的な存在として信じる人は、この状態を「節操がない」と言うかもしれませんね。でも、古くから日本人の信仰は、行事や祭り、暮らしの中のさまざまなシーンで神様に気持ちを向けてきました。
言葉として「宗教」や「信仰」と呼ばないだけで、暮らしの中に祈りの形が自然と根づき、それが日本の文化のひとつになっているんです。ある意味で、自然な信仰の姿ですね。
また、「シンクレティズム=重層信仰」といって、もともと日本人はいろいろな宗教や習俗が交じり合うことに抵抗がない民族なんです。複数の神様を区別なく受け入れる。だから基本、一神教の習俗でも楽しむことができるんだけど、同時に深くはコミットメントしきれないところがある。祈りのスタイルの違いです。結果、他のたくさんの国々のように、キリスト教などの一神教の信仰が大きく国を覆ってしまうほどには浸透しない。別に優柔不断だからではありません。…なかなか説明しづらいですけどね。
本間― おお!じゃあ変に卑下したりせず、ユニークでしょ?と紹介したっていいんですね。
そういえば、旅先でさまざまな国の若者と宗教の話になったとき、世界的にヒットした日本映画「千と千尋の神隠し(英語タイトル:Spirited Away)」を引き合いに出し、まさに「日本にはヤオヨロズノカミって考え方もあるからねー」と説明すると、すごく関心とリスペクトを持ってくれたのを覚えています。
広田― そうそう、卑下するなんてもったいない。
日本人の歴史を長い目で眺めれば、海外からの文化の受け入れ方が「ゆるい」というか、好奇心旺盛になんでも取り込んでいく特徴があります。それでも、自分たちのスタイルをすべて取り換えてしまうことはない。自分たちに合うよう、うまーく変えていきながら、軸はなんとなくキープ。いつの間にか馴染んでいくっていう感じなんですよね。
自然に恵まれたこと、自然災害が多いことも関係していると思いますが、日本人の宗教観って、結果的にとても「寛容」と言ってもいいのかもしれません。むしろこのスタイル、新しい時代にあらためて誇りを持って世界に発信していくべきでは?という気がします。
ちなみに、「八百万の神」という考え方ですが、実は日本独特のものじゃなくて、世界中の農耕民族や先住民の原始宗教に似たような考えが見られるんですよ。日本から世界を眺めてみると、世界は一神教がマジョリティ、と思いがちですが、もともとは神様の世界も多様性が基本だったのではないかと思います。
本間― 面白いです!ジョーゼフ・キャンベルの著書 『神話の力』 を思い出しました。その中に、ネイティブアメリカンやアボリジニ、エスキモーなど、地理的には遠く離れた世界中の先住民族が、共通性のあるよく似た文様を描いている話があるんです。
いま日本に流れている「空気」を感じることも必要ですが、もっと世界に開かれた目を持ったり、歴史やロマンを感じたり、自由な発想を持つことも大事ですね。
広田― そうですね。私たちは今、残念ながら、祈りや神について「話す」機会が少ないんですが、暮らしや社会の急速な変化に伴って、コミュニティや家族の中で習わしや行事を「受け継ぐ」機会はさらに激減しているんですね。
民族としてもともと持っていたものの面白さを自覚する前に、長い年月でつくってきたユニークな宗教観自体を失いそうになっているのが現実かなと。
本間― うーん、もったいないですね。
先ほど私、「日本人に人生哲学がないとか拝金主義・物質主義とか思われたくなくて」と言いましたが、昨今の日本を見ていると、あながち間違いでもない方向に少しずつ向かっている気がして怖いんですよね。
震災の国でもあり、神や自然など人間以外の大きな力に頭を垂れる姿勢や、自分以外の人の幸せを祈る姿勢を持つ素地はあるのに、コマーシャルや価値観の氾濫に煽られて、それどころじゃなく疲れているというか。他人への優しさも持てなくて、殺伐としてきているなって…。
広田― そういう意味でも、いま日本の習わしや季節の行事に関心が向く、皆さんのその直感は素晴らしいと思います。ここに、日本人が失ってほしくない、大事なものが詰まっていますから。
(※その内容はインタビュー本編をご覧ください →読む)
多様性と寛容を育んでいきたい
広田― 個人的には、習わしや行事は時代によって変わっていくものだと考えていますから、絶対に伝統的な形をなくしてはいけない、とも思わないのです。ただ、人間が幸せに暮らしていくためには、個人的なものと皆と協調するもの、私的なものと公的なもの、どちらにも関わることがポイントになるのかな、といつも思います。人間は1人では生きていけないから、両方が必要です。
残念ながら今は薄れている地域も多いと思いますが、私は本質的に大切なことってコミュニティで学べると思っているんですよ。町内会や地域サークル、学校など、さまざまな人が混ざりあう場で、一緒に何かを行うことを通して、考えが違うものの間で理解しようと努めること。話し合うこと。役割分担できることはすること。
本間― 「多様性」と、それをリスペクトする「寛容」ですね。
広田― そうです。世代がゆるやかに重なりながらつながり、それぞれの生きてきた時代を俯瞰し、少しずつでいいから尊重し合う。せめてお互いを知り合う。このことで生まれるものがたくさんあります。
もちろん傷つくことも嫌なこともあります。でも学びにはいろんな体験が必要ですから、いつもいい思いばかりあるわけではないのは当たり前なんです。お母さんだけ、好きな友達だけ、家の中だけ、ゲームだけ、と、自分が居心地よいところにだけ居たのでは、磨かれないものがあります。結果、対外的にモロく、何か気に入らないことが起きるとなかなか他人を許せない。 「こうじゃなきゃ幸せじゃない」と条件づけがあればあるほど、心の中の世界はどんどん狭くなって、自分が息苦しくなりますよね。人生って小さなハプニングの連続ですから。
このことは、既存のコミュニティでも、親しい人同士で新しく集まっても同じです。自分以外の人が集まって不都合や問題が起きないわけがない。であるならば、今あるものをもう一度大事にして新しい光を当ててみては?と思います。せっかくの長い歴史のある国ですから、恩恵や学びは受け取り、新しい流れへとつないでいきたいですね。
本間― 本当ですね…。 「ダイバーシティ教育」 なんて言うようになりましたけど、それって本当は、外国の文化を学んだり、まして英語教育なんかじゃない。ムスリム文化の理解、の前に、近所のおじいさんと仲良くなれるか、電車の中で優しい気持ちで過ごせるか、意見が違う人ともキレずに語り合い最後は握手できるか。 「多様性を尊重する」って、もっと人間性とか、心の根底の話で、もしかしたら愛の話だと言ってもいいかもしれないって思うんです。
世界の流れが何やら、排他と分断の方向に進んでいる気配を感じ、背筋が冷たくなるこの頃ですが、だからこそ。 私たち、子供を育てる母たちは、しっかりと抱きしめたい概念です。この世界にはいろーんな人がいて、皆が許され、愛されるべきなんだよ、と。
今日よりまた心新たに、希望を持って、自然の美しさと命のいとなみを感じながら、幼子との日々を過ごして参ります!
って、決意発表になってしまいました。笑
広田― 笑。 私もライフワークとして、できることはなんだろう、って一生懸命に、でも楽しみながら生きていきたいと思います。これからも宜しくね。
(写真: 広田 行正)
広田 千悦子(ひろたちえこ)
日本の行事、季節の愉しみ、和服、縁起物……。研究家であると同時に、温かな絵と文で綴る作家。講演、ワークショップも多数。著書はロングセラーの『おうちで楽しむにほんの行事』ほか25冊を超える。最新刊は『鳩居堂の歳時記』。東京新聞のコラム「くらし歳時記」は連載10年目。公式ホームページはこちら。